『結婚できない男』 vs『結婚できない男』 | アバウト ア ボーイ
2009.07.22
文. ウィ・クンウ(eight@10asia.co.kr)、チョン・ジンア(TV評論家)
編集. イ・ジヘ(seven@10asia.co.kr)
KBS『結婚できない男』の登場はそれほど派手ではなかった。むしろ同名の原作日本ドラマの主人公 桑野信介を演じた阿部寛のおかげで、チ・ジニ演ずるチョ・ジェヒが視聴者から好感を得ることは難しく思えた。しかし、チョ・ジェヒのエピソードが回を重ねるごとに、結婚しない男たちは、チョ・ジェヒの優雅なシングルライフを羨み、全国の干物女たちは、恋愛下手なチャン・ムンジョン先生に共感した。その上、お隣り犬サングと仲良くなるなど何となく可愛いところのあるチョ・ジェヒが、まわりの人々との関係を作っていきながら変わっていく姿はほほえましい。
結婚をしないのであれ、できないのであれ愛らしいキャラクターがたくさん登場する『結婚できない男』のソロ生活白書を<10アジア>ウィ・クンウ記者とチョン・ジンアTV評論家が読んでみた。/編集者注
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羊羹をいちも口で入れている。自分の物に触られるのをいやがる。病院を逃げ出す。女にケンカをふっかけたがり、口げんかになれば譲らない。これは我が子の生活態度評価項目ではない。今年40歳になった男、KBS『結婚できない男』チョ・ジェヒ(チ・ジニ)の話だ。もちろん彼は、ふと思いついたリビングやキッチンの光景をあっという間にスケッチしてしまう優秀な建築家あり、スパゲティと爆竹に精通した物知りり博士だ。その一方で、オールドミスを錆ついた自動車にたとえて怒らせたかと思うと、「年齢よりは若く見える」とって謝る。目上の人からもらった贈り物が気に入らないと、その人の前で他の人にやろうとする。社会性という点では難のある大人でもある。
チョ・ジェヒさん、本当に一人で暮らしたいのですか?
ジェヒはしばしば独身の特権について、人間関係の厄介さについて、結婚が人生の終わりではないということについてそれなりの哲学をならべ、自分だけの世界を誇示する。しかしその世界は、現実には思ったほどに強固ではない。彼は、子供を一人残して死ぬのかという母の前で、「僕が一人でないことなんてありましたか」と言うが、実際、彼は一度も本当の意味で一人であったことはない。彼は、聖域だという自分の家を、自身だけが暮らす島のように孤立させようとし、実際にそうだと信じているが、その島での豊かな生活は、キラン(ヤン・ジョンア)がジェヒの代わりにクライアントや現場監督の機嫌をとり、腹痛で倒れた時にはお隣りのユジン(キム・ソウン)が病院に連れていってこそ可能なのだ。
もちろん世の誰一人として、あるひとつのルール中で論理的誤謬なしに首尾一貫した生活を送ることはできない。ジェヒの幼稚さは、自分だけの世界が確かなものではなく、実際には弱点だらけでであるにもかかわらず、それに誤りはないと言い張るところになる。
彼は人間関係など面倒だと独り言のように言うが、「面倒ならば関係を切れば良いではないか」というムンジョン(オム・ジョンファ)の反問には返す言葉がない。
事実彼は、皆がユジンの家に集まって食事をしているのをうらやましく眺め、花火を見に来たムンジョンを見てうれしがることができる人間なのだ。ただ、そうではないふりをして、独りよがりの哲学を変えようとしないだけなのだ。それは虚勢を張るというのとも少し違う。誤りをお母さんに指摘されてへそを曲げる幼児期の男の子の意地に近い。人間関係が面倒だというジェヒに、ムンジョンは「話す前に考えなさい」と注意するが、誰にというわけでもなく発する独り言こそ幼児期の特徴である。ひけらかす場所がないジェヒの知識誇示もやはり、昨日読んだ百科事典の内容を暗記して自慢する小学生を連想させる。
心細い三角関係の落とし穴
そういうわけで『結婚できない男』は結婚できないことが問題の男についての話でなく、婚期をすぎてもまだ思春期にも至っていないということが問題の男についての話なのだ。40歳というジェヒの年齢は、中年未婚男性の典型であるが、配慮のない言葉で同年輩の女性を傷つけ、一生懸命徹夜で働いた部下に対して悪知恵を働かせたのかと言って、悲しい思いをさせるに十分な地位にもある。そんな具合に年齢に合った成長が必要なのである。
実際、ムンジョンと関わるうちに、彼女のお父さんのために大嫌いな現場監督においしいスンデクック屋を尋ねるジェヒの変化は成長という言葉で説明することができる。いつまでもスタートポイントにいることに疲れるというムンジョンの言葉のようにメローラインの発展はいたって緩やかだが、このドラマがおもしろいのは、この緩やかな成長の時間が人と人を思いやるという普遍的価値を自然に引き出しているからだ。
しかし、少々優しくなり周囲を見られるようになったというだけで、ムンジョンとユジンの心を奪った最近2回の急進展は少し不安だ。『結婚できない男』における結婚が、自分ではない他人を受け入れることができる成熟さを意味するなら、ジェヒが結婚できる男になるために必要なことは、主人公に与えられた理性的魅力でなく、様々な人が協働する日ざし村移転プロジェクトを成功させることができる包容力であろう。
文ウィ・クンウ
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KBS 『結婚できない男』の空間は概ね平日/週末、職場/家/行きつけの店とうふうに単調に繰り返される。その方法はドラマ的というよりシチュエーションコメディー的である。例えばこのドラマに登場する病院は、MBC 『白い巨塔』のように権力争いが起きる所でなく、ムンジョン(オム・ジョンファ)が朝から出勤する生活空間ということだ。時間になれば食事をし、あるときには夜勤をし、週末になればDVD 6巻を借りる『結婚できない男』の反復された生活パターンは、このドラマの関心が大型で劇的な事件にはないということの証である。『結婚できない男』が注目するのは日常という土台の上を生きていっている「人間」と「人間たち」だ。
お互いの隙間を満たす他人たち
『結婚できない男』は「人間」がどのように「人間たち」と関係を作りながら生活しているかを見せるために、登場人物のほとんどが「誰かの友だち」というような限定がない。それぞれの生き方を構築しながら生きる個体を設定している。
そのためこのドラマの登場人物たちは同時代を生きているにもかかわらず、それぞれが感じる世の中は同質ではない。自分の名前をつけた事務室がヒョンギュ(ユ・アイン)には将来の夢であり、ジェヒ(チ・ジニ)にとっては現在の生活あり、ムンジョンのお父さんには過去のものである。また500万ウォンがユジンには数ヶ月苦労しなければ用意できないほど高額なの金であるのに、ムンジョンには「その程度は十分に貸すことができる」金額である。そんなふうに彼らの世の中はそれぞれに異なる。
『結婚できない男』はその差を重視する。それこそが、人が誰かを必要とする理由であり、人生を多彩にする理由だと考えるからだ。口をついて出てくる言葉を飲み込むことが死ぬ事より難しいジェヒにギラン(ヤン・ジョンア)の社交性と配慮がなかったとすれば、ジェヒの社会生活は成り立たなかったであろう。結婚に対する考え方のちがいから、ムンジョンは暇さえあれば父親と論争するが、その理由がどうであろうと彼らが家族としてお互いを愛しているという証拠だ。『結婚できない男』はこうした場面を通して知らない人同士が出会い、お互いの欠点を補っていきこと、素朴でも多彩な関係のネットワークを作っていくことこそ人生において最も大切なのだということを伝えようとしているのだと思う。
ドラマが常にドラマチックである必要はない
『結婚できない男』のこのような価値観を最もよく表しているのがジェヒとムンジョンの関係である。彼らがお互いに惹かれるのは、相手が自分の欠点を誰よりもうまく補ってくれるからだ。「退勤時間に、夕飯を一緒に食べてくれる人はいないかときょろきょろ見回す」ムンジョンは、簡単に言ってしまえば、誰かと一緒に食事をしたがる女であり、いやなことがある度に具合が悪くなりムンジョンを訪ねるジェヒは、誰か話を交わしたがる男なのだ。
すなわち彼らの愛は「君しかない!」式の熱情的なものではなく、共に食事をし、互いの話を聞いてくれることなのだ。『結婚できない男』には劇的事件も熱情的な恋愛も存在しないため退屈なドラマと感じられやすい。だがすべてのドラマが常に特別な話をドラマチックに描く必要はないだろう。『結婚できない男』はドラマチックな構造がない代わりに、日常の人間関係が織りなす多様な面を細心に観察することで、結構深みのある小品として描きいている。
文 チョン・ジンア
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